
近年、SNS上でも爆発的な人気を見せているアーティストYOASOBIの名曲『夜に駆ける』。
王道的なAメロ・Bメロ・サビの繰り返しを用いず、2番以降Cメロ、Dメロ、サビといった変化を見せ、さらに転調まで盛り込んで、ジェットコースターのような楽曲。
そんな楽曲でありながらも、SNS上では多くのファンがこの曲を愛してやまず、今週のMステの企画『Toshlさんが歌うToshl三択』でリクエストが多かった曲として歌われていますね。
では、『夜に駆ける』が、何故そこまで高い支持を受けているのでしょうか。
また、『夜に駆ける』とリンクすると思われる現代社会における命の問題とは一体何か?
本記事では、YOASOBIの『夜に駆ける』の歌詞の意味に注目しながら、今多くの人たちが抱えるべき命の問題について迫っていきます。
他のアーティストにカヴァーされるまで支持を高めたYOASOBI『夜に駆ける』

ヴォーカルにボカロプロデューサーとグラフィックデザイナーが加わり、一つのアート作品として手がけられた音楽ユニットYOASOBI。
昔、YMOやTMネットワークが登場し始めた頃のデジタルサウンド志向が流行した頃のように、今の時代を象徴とする新しいサウンド形態の登場に、胸を躍らせている音楽ファンも多いのではないでしょうか。
筆者も、初めて『夜に駆ける』を聴いて、ただ衝撃を受けました。
冒頭でもお話ししているとおり、今までの楽曲のあり方を根底からぶち壊すかのような、想像を絶する展開を見せた魅力あふれる楽曲であり、
『こんな飛び抜けた曲が登場してきたんだ・・・』
と驚かされ、完全に曲の魅力に惹きこまれてしまいました。
きっと、筆者のような音楽ファンは多いはず・・・
2番でがらりと変わる曲の展開といい、独特な歌詞の世界観と良い、何をとっても秀逸で今の流行を上手く取り入れている素晴らしい楽曲!
だからこそ、他のアーティストも『夜に駆ける』をカヴァーしているのでしょうね。
みなさんも、だまされたと思ってYOASOBIの『夜に駆ける』を一度聴いてみてください。
きっと楽曲の世界観やジェットコースターのごとくめまぐるしく変化していく展開に引き込まれどっぷりハマってしまうはずですよ。
『夜に駆ける』の歌詞の意味

さて、『夜に駆ける』の簡単な楽曲紹介についてはこの辺にしておいて、ここからは具体的な歌詞の意味や楽曲の持つ世界観をご紹介していきます。
冒頭から自殺シーンが描かれている理由

実は、YOASOBIの『夜に駆ける』は、星野舞夜さんの小説『タナトスの誘惑』をベースに手がけられた楽曲なのですが、何故か、冒頭から自殺を匂わすシーンが登場します。
・『さよなら』
出典:https://www.kkbox.com/
・『日が沈み出した空と君の姿 フェンス越し重なっていった』
といったフレーズが、
冒頭の
『沈むように溶けてゆくように』
出典:https://www.kkbox.com/
にかかって、二度と会えなくなる別れ(つまり、主人公の相手が自殺するという意味)を想像させてしまうのです。
何故、冒頭からこのようなシーンが描かれているのか、それは『タナトスの誘惑』が
- 『死にたくなるほど辛い何かに悩み終わりにさせたいと思う人物の心情』
- 『大切な人が死を意識していると気づきなんとか救いたいと思う人物の心情』
この二つの心情をシンクロさせながら、それでも命を救うことができずに遺されてしまった者の哀しみが冒頭シーンで綴られていると筆者は感じています。
おそらく、フェンス越しと言うワードが出ているだけあって、主人公が愛した女性は、主人公の目の前で自殺されたのでしょう。
目の前で自殺されるなんて、こんな哀しいことはありませんよね。
ただ、このような事例に似た事柄は、今の時代ちょくちょく目にしている気がします。
三浦春馬の死にもリンクする世界観

例えば、三浦春馬さんの死がその一つではないでしょうか。
実際に筆者のように、ピュアな印象を与える彼の様子をテレビ越しで拝見し、何か嫌な予感をしていた者も中にはいたかもしれませんが、それでも、今すぐ自殺されるなんて夢にも思わなかったはず・・・
あくまで、彼の死のニュースを聞いて、そんな予感がしたと感じたに過ぎなかっただけ・・・
そもそも、多くの人は、『まさか自殺するなんて・・・』とショックを受け、いまだその死を受け止め切れていないのが正直なところですよね。
残念ながら、彼の中で何が起こり自殺に至ったのか、その原因を完全に把握することはできません。
ただ、少なからずとも、何かに苦しみ最終的に死を持って終わらせようとしたことだけは間違いなく、その苦しみから解放する術を周囲の誰もが持っていなかったというのが、多くの人たちの心を苦しめているリアルですね。
そう、『夜に駆ける』に出てくる自殺したと、彼女を愛した主人公のように・・・
タナトスの誘惑の『誘惑』とは?

さて、話を元に戻しますが、『夜に駆ける』の歌詞は、小説『タナトスの誘惑』をベースに作られているわけですが、このタイトルにもある『誘惑』というのは、死を持って楽になりたいというニュアンスが含まれていたのかもしれません。
そして、
『生まれ変わって楽園に生きたい・・・』
と苦しみからの解放を願った心情として自殺という哀しいストーリーが描かれていたと考えると、実に切なく哀しいストーリーですね。
一方通行の恋がより世界観を哀しくさせる・・・

ここから先は『夜に駆ける』への捉え方の違いによって大きく解釈が変わっていくと思いますが、少なくとも筆者は、二人の関係を見ていて一方通行の恋ではなかったかと考えています。
まず、主人公は、自殺した彼女に出会った頃から、どこか寂しげで儚げな雰囲気に惹かれ恋をしてしまいます。
一方、彼女はどうだったかというと、その頃から何もかも終わらせたいという気持ちが膨らみ、主人公のことをどこか疎ましく思っていたように感じます。
主人公は好きな気持ちを持っているけど彼女にはそれが伝わらず、逆に死へのカウントダウンが進んでいくばかり・・・
『抱きしめた温もりで溶かすから 怖くないよ いつか日が昇るまで二人でいよう』
出典:https://www.kkbox.com/
と、主人公は、苦しい気持ちを解放させるためのアクションを必死に起こしていくわけですが、自暴自棄になっている彼女にはどんなアクションを起こしてもそれが伝わることは難しく、逆にネガティブな心情を加速させてしまう・・・
要は、追いかければ追いかけるほど離れていくというような感じがこの歌詞の世界観として描かれてしまっていて、それは現実社会においても同じようなことが当てはまっているというわけ。
そして、結果的に、『夜に駆ける』の歌詞の世界観としては、一方通行の恋が展開されることでより哀しい結末へと進んでしまうもどかしい状況が生まれているわけで、特に今の時代には共感が得られやすくなっているのです。
ラストで描かれる夜に駆け出すとは?

先ほどもお話ししたとおり『夜に駆ける』は、生きることに絶望した彼女と、彼女を愛したものの救うことができず目の前で自殺させてしまった主人公の関係を描いた、儚く切ないストーリー性を持った歌詞構成の楽曲であることに違いありません。
ただ、『夜に駆ける』の歌詞は、自殺で話が終わりというわけではありません。
ラストでは、二人今、夜に駆けていくというフレーズが登場します。
もちろん二人で死を迎えようとするというワードにも捉えることができ、この辺は感じ方の問題とも言えるのですが、筆者の見解では、自殺する側と止める側の関係にあるので、二人で死を迎えるということではないというのが率直なところ・・・
では、二人で夜に駆けるとはどういうことなのか?
その答えは二つ存在する『別れ』にあるのだと筆者は考えています。
一つは、死を持って現世に別れを告げるという意味合い。
もう一つは、愛する者を救えず死なせてしまったが、その苦しさ哀しさに別れを告げて前に一歩踏み出そうとする遺された者の意思。
これらの感情が夜に駆けるというタイトルにもかかり、新たな世界観へ踏み出す一歩に繋がっていくのだと思うのです。
そう、哀しみや切なさを感じさせる楽曲でありながら、少しポジティブな要素も垣間見える楽曲であるというわけ。
100%哀しみの曲と言われたら、すごく切なく苦しくなりますが、主人公が哀しみに別れを告げて一歩前に踏み出せていると知ると、少しほっとできたような気がしますね。
『夜に駆ける』が支持される理由

YOASOBIの『夜に駆ける』が高く支持される理由は、ズバリ共感する要素が多い点にあります。
先ほどもお話しした三浦春馬さんの事例にもあるように、大切な誰かが自殺という哀しい結末を迎えてしまうケースは今の社会では珍しい話ではなく、リアルに体験している人も多いです。
それだけに共感できる何かが多く含まれた『夜に駆ける』は多くの音楽ファンから支持を受けやすいのです。
『夜に駆ける』の歌詞から学ぶべきものとは?

正直なところ、心が傷ついている人たちに対して、どのように接するのが正しいのか、完全にわかっている人はほとんどいないでしょう。
優しく手を差し伸べたとしても、それが逆効果となり最悪な方向に向かってしまう場合もあるわけですし、かといって突き放すのはもってのほか・・・
どう対応するのが一番良いのか正直悩ましいところですが、こういうケースでは、たとえ嫌われたとしてもそばで寄り添ってあげることが一番の方策かもしれません。
『夜に駆ける』では、結果的に自殺という最悪な結末を迎えてはいますが、それでもどこか救われた部分はあったのではないでしょうか。
もし、完全に突き放され孤独のまま死を迎えていたとしたら、世の中に未練を残しつつ死んでいくというもっと最悪の結末が待ち構えていたかもしれません。
世の中の未練も断ち切り、完全なる別れができたのも、心のどこかで寄り添おうとしたことが一つの救いとなったのではと、歌詞の世界観から筆者は読み解きました。
そして、これは、先ほどもお話ししたとおり、現代社会における話にも相通じることだと、筆者は考えています。
なかなか、心が苦しい人と寄り添うのは難しいかもしれませんが、ただ苦しい胸の内を聞いてあげるだけでも、その人にとっての救いになるかもしれませんし、寄り添うことの大切さを一度考えてみるきっかけとして『夜に駆ける』を聴いてみてほしい・・・
ふと、そんなことを考えた次第です。
まとめ
YOASOBIの『夜に駆ける』は、実に哀しく切ない闇を抱えた歌詞が綴られた楽曲であることに違いありません。
好きな人が自殺を選択するなんて考えたくもありませんし、そんな最悪なことは絶対に起こさせたくありませんが、人間万能ではなく、突然死を告げられることも0とは言い切れないのが現状・・・
『夜に駆ける』の世界観では、彼女を抱きしめ苦しみから解放することで、なんとか自殺を思いとどまらせようとした主人公の意思は見えましたが、その想いは届くことなく自殺されてしまいました。
そのことを踏まえても、心を痛めている人へどのように接するのが良いかすごく考えさせられる楽曲であると言えますよね。
これは今の現代社会における問題にも当てはまり、苦しみや哀しみをどのように共有し、支え合いながら生きていけるのかを考えるきっけになると思いますので、ぜひ、YOASONIの『夜に駆ける』を聴きながら、この大きな問題を一度考えてみてください。